☆新しい群衆の誕生か?

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 電網空間にブログが生まれて4年ほど経つのだろうけど、新しい群衆の誕生とでもよべるような現象を観測している。あるブログで「弁の立つ奴」が、ある違うブログの記事に批判的な記事を書く。そうすると、それを読んでいる読者達が、「ワッ」とそこの記事に押しかける。コメントを書ける状態にあれば、しかも匿名で書ける場合は、いろいろ罵倒の言葉を残していく。勿論、中には冷静で真っ当な批判もある。10分間で10程のコメントがつく。2日間でアクセスが3300を数える。継続的・散発的にコメントがつく。ほとんどが罵倒の言葉を残していく。特別人気もないブログが、普通はこんな事はまず考えられない。扇動者がいて、それに従う群衆やゴロツキが、大挙してアクセスするのだ。「弁の立つ奴」が、仮に正しい主張をしたとしても、これは、明らかに扇動行為をやっていることには間違いない。それは、アクセス解析を調べれば、いわば「出撃」拠点のサイトは、簡単に調べることができることが多いからだ。そこで、話されていることは煽りだ。これは、現実空間に暴走族がいてリーダー格がいるのに非常に似ている。電網暴走族とでもサイバー暴走族とも言える代物である。自分の意見と異なっているから議論をしようと真っ当に考えている人は、まずこんな事はしないだろう。一対一で対話をするのが普通だし、それでないと対話は成立しないだろう。大挙してまくし立てられた方は、恐怖を感じるし、いま何が起こっているのかもわからない場合が多いだろう。答えないと、さらに別のものが罵倒の言葉を書いていく。いってみれば、ツァラトゥストラが山から下りてきて蠅が群がる市場や町に現れたという心境か。あるいは、ハイデガーの『存在と時間』の中に出てくる「ダス・マン」に出くわした時の心境か。いずれも、群れたがるメダカ人間に遭遇したことになるのだ。「したがって孤独でいることおよび自力で生活することが今日では偉大さに数えられるのだ。つまり、ひとりで歩み、畜群本能をもたず、どんな変化にも対応でき、たゆまず生の新しい深みに身を投げ入れることのできる不屈の意志をもった、きわめて広い人間。」ニーチェ『この人を見よ』より。ニーチェの『群衆論』を読みたくなった。

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